昨年亡くなった叔父を埋葬する墓地を検討するにあたり、叔母に連れ添って数カ所のお寺を見学してきた。
長男ではなく子供もいないし、宗派も特に関わりないため、一般的なお墓ではなく、「納骨堂」や「樹木葬」という形式を念頭に探すとの意向。
今後、叔母も亡くなった場合、お参りに行くのは、甥にあたる私と私の弟くらい。
私の子供達も面識があるし、世話にもなっているのだが、手を合わせには来てくれないだろう。
折に触れ、このような人との関わりを大事にし、人としての礼儀を身につけさせることも、親の役割だと思うのだが、同居しているあの母親はそのようなことを恐らくは理解しない。
私自身、昔ながらの「家」というものにこだわりはないが、長男ではあるので、私が亡くなった際には既存の墓に入ることになる。
その時に、私の息子は見送ってくれるのだろうか。
さらにはその数十年後には、同じ墓に入ってくれるのだろうか。
私の両親(子供達の祖父母)は未だ存命ではあるが、そう遠くない未来に見送ることになるであろう。
その前に、子供達との交流を復活させてあげられるだろうか。
子供達は祖父母を見送ってくれるのだろうか。
歳を取り、亡くなった親戚も増えているせいか、こんなことを考えることが多くなった。
そもそも、(こんなことを言えば親には怒られ、悲しまれるだろうが)自分が親よりも先に逝くことはない、と自身を持って言うことができない。
日々、精神的に危うい状態にあると言わざるを得ない。
このままでいてはならないと自分をいくら戒めても、どうにもコントロールできない。
実子誘拐からの親子断絶は、一族の過去~現在~未来、の全てを壊滅的に破壊する。
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