日本では古来、(海外諸国でもそうでしたが)、父親が一家の長であるという風習が当然でした。
子供は「父母」に帰属するというよりも「家」に帰属するものとされ、
離婚や父母の死去などがあった場合でも、子供がその家の帰属から離れることはありませんでした。
女性が一人で生活できる環境もなく、離婚自体が許される風潮ではなかったのでしょう。
後、欧米から男女平等の法整備の機運が高まり、子供は「父母」に帰属するものとして、
父母双方が協力して養育する環境へと移行していきました。
女性の社会進出に伴って、離婚件数も増加していくことになるのですが、
そうなると「子供の帰属」が離婚の争点となり、「親権」を巡って夫婦が争うことになります。
欧米では早くから「女性の人権」が重要視され、また「子供の人権」も尊重するという観点から、
離婚後も父母が共同で子供を養育すべく法整備がなされ、「共同親権」を導入されていきました。
それに対して我が国では、戦後も女性の人権が軽視される風潮が根強く、
事実上、「離婚後単独親権」「家父長制」が維持されるという時代が続きました。
しかしながら、当然の流れとして女性の社会進出は加速していきます。
結果として、離婚する際に「親権」を巡って父母が争うようになり、ある時から、
「子は母親が育てるべきである」という審判が下されるケースが増加していきます。
ドラマなどで見受けられる「(子供を連れて)実家に帰らせていただきます。」のパターンです。
この時代は、父親はサラリーマンとして収入を得、母親は専業主婦として家事に専念する、
という家庭が未だ多数派だったため、子供と会えなくなったとしても、それを受け入れる、
という父親がほとんどだったと考えられます。
年配の方であれば、生き別れとなった親子が感動の対面を果たすという、
テレビ番組の記憶もあるでしょう。
そして近年、「イクメン」という言葉が生まれるほどに、父親の育児参加が積極的になりました。
となると、父親が子供に抱く愛情も、母親に負けないほど強固なものとなり、
離婚の際の親権争いも激化し、決着までの期間も長期化するようになりました。
私見ですが、ここで「日本人の風習」の悪い点が顕在化したと考えます。
『事なかれ主義』です。
父親が会社で働いているうちに、母親が子供を連れて断りなく別居を開始すると、
「現在の環境を変えることは子供にとって不利益である。」
という詭弁を挙げ(「継続性の原則」と言われています)、家庭裁判所は流れ作業的に
現状維持する審判(調停でも)を下すようになります。
これを覆すことは容易ではなく、ほぼ不可能と言っていい状態で、
「イクメン」パパは大変なショックを受けます。
また、子供もいつも一緒に遊んでいた、様々なことを教わってきた父親と断絶させられ、
心に深い傷を負うとともに、父親と経験できたであろう体験の機会を失うのです。
件数としては少数ですが、父母の立場が逆の場合も同様です。
跡継ぎ等を目的として、父親が子供を連れて実家に戻った場合でも、
母子関係が断絶されてしまうケースが多いようです。
離婚後の「単独親権制度」は、男女平等に反する時代錯誤の制度であると言えます。
何よりも、子供にとっての父親・母親は、一生涯変わるものではありません。
我が国でも、一刻も早く、夫婦関係の破綻とは関係なく、父母が協力して子供を養育する、
共同親権制度が導入されなければならないと考えます。